忘れ得ぬ戦士たち

(7) ハーバート康(韓国)

戦慄の右アッパー,元祖・日本人キラー

 生年月日  1949・08・03
 出身地  韓国チュンラナムド
 プロデビュー  不明
 ウェイト  フェザー級
 主要タイトル  東洋フェザー級
 タイプ  右ファイター
 終身戦績  66戦39勝(20KO)18敗9分
 主武器  右アッパー,フック


 60年代後半に旋風を巻き起こし,今や伝説となった韓国のハードパンチャーです。元東洋ジュニア・ミドル級王者・康世哲を父に持ち,戦慄の強打で日本を席巻した文字どおりの”元祖・日本人キラー”でした。
 後にWBC世界ジュニア・ライト級王者になったレネ・バリエントス(比国)には敗れましたが,康の強打には金沢和良(アベ),伊達健七郎(木村),斉藤勝男(タナカ),虎岩純(リキ),柴田国明(ヨネクラ)ら,日本のトップクラスがことごとくKOされました。まさに総ナメという感じでしたね。68年9月,斉藤から痛烈な2回KOで東洋フェザー級王座を奪った康はまだ19歳1カ月という若さでした。私は康が斉藤,柴田をKOした試合をナマで見ましたが,強烈な印象が残っています。”戦慄の強打”という表現がピッタリです。
 そのボクシングはベタ足に近く,ガードを固めた”のぞき見スタイル”で打たせるだけ打たせ,相手が疲れを見せた一瞬を突いて倒してしまうというもので,これがお得意の”KOの方程式”でした。
 69年1月,康の初防衛戦で東洋王座に挑戦した柴田は開始早々からスピーディなパンチで康を圧倒します。しかし,誰もが柴田の王座奪取を信じていた6回,突如康の強打が火を噴きました。”伝家の宝刀”とも言うべき右アッパーのワンパンチで柴田はアッという間に昏倒しました。柴田の攻勢に沸きかえっていた後楽園ホールは凍りつきましたね。失神した柴田は帰宅時に後楽園ホールのエレベーターの中で我に返ったそうです。
 ちなみに,この試合はフジテレビで放送されましたが,当時も今と変わらぬ”ダイヤモンドグローブ”という番組名で,毎週水曜日の夜10時からレギュラー放送されていました。今ではとても考えられない時間帯ですよね。当時の解説者は林国治氏と矢尾板貞雄氏です。林氏は審判部長やインスペクターとして知られていますが,戦後,石橋湛山首相の秘書から転進した異色の人でした。矢尾板氏は皆さん御存知ですよね。最近はダイヤモンドグローブの解説を川島郭志氏に譲っていますが,今でもサンケイスポーツの専属評論家として健筆を振るっています。競馬評論家としても有名ですね。

 康の話に戻りましょうか。ベタ足に近く,追い足は鈍いですが,そのパンチは左も右も超ド級でした。主武器は右アッパー,フックです。強打者でしたが,筋骨隆々という感じではなく,どちらかというとスラリとした印象です。しかし,肩幅が広く,エラが張った顔にクリッとした目が印象的でした。天才型の標本のようなファイターですが,練習嫌いはひどかったようで,不節制がたたり,ピークは長く続きませんでした。
 70年3月,康はスマートなテクニシャン・千葉信夫(ヨネクラ)のスピードに翻弄されて虎の子の東洋王座を失いました。このときの千葉は『逃げのボクシング』と自らを謙遜していましたが,なかなか見事なヒットアンドアウェイ戦法でした。8回には左フックでダウンするなど,康はいいところなく完敗でした。
 陥落後も康は岩田健二(金子),開行憲(勝又),清家正勝(川口),佐々木行男(ピストン堀口)らをKOしますが,すでに下降線でした。岩田は後の日本ジュニア・ライト級王者,開は阿蘇行憲と名乗ってライオン古山(笹崎)と分のいいドローに持ち込んだこともある現ロッキージムの会長です。
 しかし,さすがの康もサウスポーのテクニシャン・野畑澄雄(常滑)だけは苦手だったようです。2度対戦しましたが,初戦は判定勝ち,再戦は引き分けに終わっています。ちなみに康が岩田に3回KO勝ちした試合はテレビ観戦でしたが,我が家もようやくカラーテレビを購入し,初めてカラーテレビでボクシング中継を見た,私にとって”自分史”に残る記念すべき一戦になりました。
 康の強打に失神した柴田が2階級制覇の名チャンピオンに成長していた頃,すでに落ち目の康は協栄ジムと契約し,ブヨブヨの体でリングに上がっていました。最後は東京でホセ・ルイス・ロペス(メキシコ)にサンドバッグにされ,無残な姿を晒した末に8回TKO負けを喫しています。

 試合後に康と柴田は仲良くなり,しばしば練習をともにする関係になっています。優れた指導者の元で節制していれば・・・,柴田の10分の1でいいから努力していれば・・・と悔やまれます。それでも,天賦の才能だけであそこまでやれたのは天才の天才たる所以でしょう。
 勝負の世界に”レバ・タラ”は禁物ですが,ハーバート康のことを思うとき,私は”レバ・タラ”の世界に浸ります。そういう意味で,いつまでも私に夢を見させてくれる永遠のファイターです。国籍を越えて,記憶に残るボクサーのひとりですね。
 引退後はソウルで焼肉店を経営しているという話も聞いたことがありますが,今はどうしているんでしょう。もしビデオが残っていれば,全盛時の雄姿をもう一度見たいと思います。斉藤戦,柴田戦を放映したフジテレビに残っていないでしょうか。


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