忘れ得ぬ戦士たち

(5) センサク・ムアンスリン(タイ)

規格外の怪物

 生年月日  1950・08・13
 出身地  タイ国ペチャブーン
 プロデビュー  1974・11・17
 ウェイト  ジュニア・ウェルター級
 主要タイトル  WBC世界ジュニア・ウェルター級
 タイプ  左ボクサーファイター
 終身戦績  20戦18勝(11KO)6敗
 主武器  左ストレート,左アッパー


 ”怪物”という異名を持つボクサーは何人もいますが,これほどピッタリはまる男はいないでしょう。
 ムエタイ時代に来日し,”不倒王”と言われた玉城良光と対戦,強烈なキックで内臓を破裂させたことがあります。ムエタイに敵がいなくなったという理由で,74年に国際式に転向しました。いきなり強豪のルディ・バロ(比国)を初回KOに屠り,華々しいデビューを飾っています。2戦目にはタフで鳴るライオン古山(笹崎)をも7回TKOで一蹴しています。
 そして,信じられないでしょうが,何と3戦目でペリコ・フェルナンデス(スペイン)のWBC世界ジュニア・ウェルター級王座に挑戦し,8回KOでベルトを奪取。世界中をアッと言わせました。76年1月には来日して再度古山と対戦し,判定勝ちで初防衛に成功しました。
 しかし,ミゲル・ベラスケス(スペイン)を迎えた2度目の防衛戦では,ダウンを奪って一方的にリードしながら,ゴング後のパンチでベラスケスが倒れて立ち上がれず,4回反則負けで王座を明け渡しました。それも4カ月後のリターン・マッチでは2回KOであっさり王座を奪回しました。
 そこからは圧倒的な強さを発揮し,78年12月に金相賢(韓国)に13回KO負けで王座を奪われるまでに7度の防衛を果たしています。このうち,77年4月の2度目の防衛戦ではライト級から上がってきたガッツ石松(ヨネクラ)のボディに左アッパーを突き刺し,6回に元王者を沈めています。
 日テレの看板番組だった”うわさのチャンネル”にレギュラー出演していたガッツ石松がセンサクのボディブローでKOされたことをギャグにしていましたね。ボディを打たれるマネをして,その場にゴロンと転がり,例の栃木訛りで『ボク,ボクサーなの』なんて,しょうもないギャグが当時バカ受けしていました。
 ガッツ石松を悶絶させたセンサクは試合後のリング外でも怪物ぶりを発揮しました。『すぐにでも,もうひと試合できる。精力があり余って眠れない』と豪語して,そのまま夜の街に出撃。驚くなかれ,ソープを3軒もハシゴ。こちらの方でも無類の”ハードパンチ”を打ち込んで”対戦相手”を悶絶させ,ようやくホテルに戻ったという武勇伝を残しました。それとは別に,ガッツ石松との試合前にもソープで抜いてきたという説もありますが,そちらの真偽のほどは定かではありません。
 さすがのセンサクも,王座を失ってからは一気に下降線を辿ります。79年10月には台頭してきたトーマス・ハーンズ(米国)に3回KO負けし,次世代のヒーローの踏み台の役目を果たしました。81年に黄忠載(韓国)に判定負けした試合がラストファイトです。

 センサクはやや変則的なサウスポーで,バンチは左右ともにハードでした。驚くようなスピードがあるわけでなく,特に手数が多いわけでもないですが,ドッシリ構えて長いリーチから繰り出す左ストレート,アッパーが重くて強烈です。おまけに懐が非常に深く,相手にとってはやりにくかったと思います。ボディなどもお世辞にも締まっているとは見えませんが,打たれてもビクともしない無類のタフネスを備えていました。
 昔からタイは日本ボクシング界とは縁が深く,数々の名選手が登場しましたが,その中でもセンサクは強烈な異臭を放っています。ケロヨンにソックリな顔,奇声とともに放たれるハードパンチ,超人的タフネス,内臓破裂事件,試合中のうがい水ガブ飲み事件,ソープランド・ハシゴ事件・・・・・とにかくリング内外で話題には事欠かない豪傑です。私なんか,センサクの思い出話だけで徹夜ができます・・・・・なーんて,それはオーバーですが,そんな奇人・変人ぶりも,やがては伝説になっていくんでしょうね。


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