忘れ得ぬ戦士たち

(2) バズソー山辺(船橋)

”あしたのジョー”を地で行くケンカファイター
 

 生年月日  1952・04・01
 出身地  茨城県水戸市
 プロデビュー  1971・6・22
 ウェイト  ライト級
 主要タイトル  日本ライト級
 タイプ  左ファイター
 終身戦績  36戦26勝(18KO)8敗2分
 主武器  左右フック


 70年代前半,ライト級にケタ外れの野生児が出現しました。その名はバズソー山辺。BUZZは『ブンブンうなる』,SAWは『ノコギリ』と言うわけで,その名のとおり森林で大木をなぎ倒す丸ノコのようなパワフルなファイトで一世を風靡しました。
 サウスポースタイルでグイグイ前に出て,重い左右フックの連打で相手をねじ伏せる典型的なファイタータイプです。
 71年にホノルルでデビューし,持ち前のケンカファイトでホノルルやロスを主戦場にKO,TKOの山を築きます。現地での人気に目をつけたプロモーターが呼び戻す形で,73年に逆上陸しました。村上広行(極東)を痛烈な2回KOに屠った凱旋試合はハデな名刺代わりになりました。
 札付きのワル,少年院上がり,外国帰り,天涯孤独の風来坊,ケンカファイト,ハードパンチ・・・・・おまけにビッグマウスですから,これで人気が出ないわけがありません。当時絶好調だった人気漫画”あしたのジョー”の主人公・矢吹丈を地で行くキャラクターとして,ボクシング関係以外のマスコミでも話題が沸騰しました。

 73年7月,帰国第2戦で早くも高山将孝(ピストン堀口)の日本ライト級王座への挑戦が実現します。山辺は終盤高山の猛反撃にあわやというところまで追い込まれましたが,パワーで押し切り,判定勝ち。初のタイトルを手にします。
 しかし,『ボクシングはケンカ』と言い放つ山辺に対して,7カ月後の74年2月のリターン・マッチでは高山が意地を見せます。山辺は高山の猛攻に屈し,今度は8回KO負けで陥落しました。
 天狗の鼻をへし折られた失意の山辺は再び活躍の場をホノルルに移し,KO街道を驀進します。76年4月に再上陸し,アルフレッド・エスカレラ(プエルトリコ)のWBC世界ジュニア・ライト級王座に日本で挑戦するチャンスを掴みました。しかし,これは6回TKO負け。主審の”早過ぎるストップ”で大モメにモメて,3カ月後に再戦が実現しましたが,これも判定負けに退きました。奈良で行われたエスカレラとの再戦が,山辺が上がった日本で最後のリングとなりました。
 77年2月,本来のライト級に戻り,今度は敵地に乗り込んでエステバン・デ・ヘスス(プエルトリコ)のWBCライト級王座に挑戦します。しかし,さすがにこれは相手が悪過ぎました。さすがの”丸ノコ”も,あのロベルト・デュラン(パナマ)と星を分けた実力者ヘススにはまったく歯が立ちません。スピードに翻弄されて強打を浴び,開始早々から痛烈なダウンを食って,結果は6回TKO負け。完敗となりました。

 ヘスス戦でテレビのレポーターが伝えた山辺の敗戦の弁は『Too Young・・・』。外国暮らしが長い山辺にしてみれば,自然に口をついて出たコメントでしょう。しかし,ゲスト解説のガッツ石松にはこれがキザなセリフに聞こえてカチンと来たのか,例の栃木訛りで『なあ〜にが”ツー・ヤング”だよ』(ガッツ石松はホントにこのように発音した)と呟きました。本人は聞こえないと思ったんでしょうが,これがマイクに乗ってしまったんです。私はこれがおかしくて,思わず吹いてしまいましたね。

 引退後の山辺はアメリカに渡り,一時警察沙汰も伝わって来ましたが,その後の消息は不明のようです。個性というよりも強烈な”異臭”とも言うべきものを放った山辺。でも,ワルのイメージとは裏腹に,丸顔で笑うとなくなってしまう細い目に何とも言えない愛嬌がありました。
 日本のリングで雄姿を見せた期間は非常に短かったですが,70年代を飾った忘れ得ぬファイターです。


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